「選択肢を広げる」ことの意義

「選択肢を広げる」のは、やりたいことをやって生きていけるという、「選択する自由」を手に入れるためだと思われがちだ。
しかし本当は、やりたいことができなかったとしても問題無く生きていけることにこそ、その意義があるのだと思う。

他の選択肢=「逃げ道」を常に持っている状態は、
「これがダメになっても大丈夫」であり、
「これが嫌になったら辞められる」のであって、
「ここじゃない場所でもOK」な状態でもある。

だからこそ失敗を恐れず強気でチャレンジできる、という見方もできるだろう。
敢えて退路を断って自分を奮い立たせる人もいるが、
基本的に、「逃げ道」を常に用意しておくということは、“生存戦略的には”正しいと言える。

それは、依存先を分散するということであり、
リスクを分散するということであり、
すなわち、自立するということとほぼ同義だと思う。

例えば、プログラミングも執筆も料理もできて、おまけに(何故か)薬剤師の資格も持っているとしよう。
どこかの企業で、エンジニアとして月給50万円で就職するのがいいだろうか。
あるいは、業務委託でプログラミングして30万円稼ぎながら、ライターとして15万円を稼ぎつつ、週末出張シェフとして5万円を稼ぐ生活もありかもしれない。
もし仮にそれらが嫌になったり、稼げなくなったとしても、薬剤師として働くという選択肢が残っている。

スペシャリストを目指すのは間違い?

だとすると、専門性を究めてスペシャリストを目指すのは、賢くないということになるのだろうか?

いや、必ずしもそうではない。

例えば、ファイナンスの知識と経験をとことん積んでスペシャリストになったとする。
こういう人材であれば、いろんな企業から必要とされるだろう。
就職する会社の選択肢はたくさんあるだろうし、コンサルタントとして働くような選択肢もあるだろう。

つまり、希少性と市場のニーズを兼ね備えたスペシャリストになれれば、結果的に「選択肢は広がる」ことになる。

ただし、これが問題になるようなケースは、2つある。
ひとつは、結局そのスペシャリストになることが叶わなかった場合、
もうひとつは、その専門性の需要がほとんど無い(あるいは無くなる)場合だ。

こういう場面を想定すると、特定の領域のスペシャリストになるために他のあらゆることを犠牲にして努力するというのは、非常にリスクが高いとも言えるだろう。

「正しい」戦略などない

とはいえ、何の専門性も尖らせずに、広く・浅くカバーできるようにしたとしても、中途半端で特徴のない人間になってしまう可能性があり、これはこれでやはりリスクが高い。

結局のところ、「専門性を深める」と「できることを増やす」の両方をバランスよくやっていくことが最もリスクが小さく
そのどちらにどれくらい重きを置くのかは、人それぞれだ。

注意しなければならないのは、リスクが小さい戦略=「正しい」戦略 とは限らないということ。
例えば、リスクを承知の上で、全力を出すためにあえて他の選択肢を断つというのも戦略のひとつだし、そこに「正解」などない。

デートのお店はどこにする?

さて、ここまでキャリア設計の話題を中心に話を進めてみたが、
「選択肢を広げる」ことがリスク分散になるのは、日常のいろんな場面に現れる。

例えば、気になる女の子とのデートで行くお店を考えるとき、
彼女が大のチーズ好きだと知っているとしたら、予約が取りにくい人気のチーズ専門店に連れていく方が喜ばれるかもしれない。
だが、彼女の食の好みをまだよく知らないのだとしたら、ホテルのランチビュッフェに行くのが、好みを外す心配が少なくて安全だ。

とまあ、こんなケースでもリスク分散の考え方は重要になるわけだが、
こういう例を考えてみると、情報が不足している場合には、選択肢をできるだけ広く取る方がベターだと分かる。

とはいえ、情報が不足している状況、すなわち「先が読めない」状況で意思決定するのはリスクが高いから、それを分散する必要があるのであって、
まずはもっと情報を入手することができないかを考えるのが先かもしれない。

いずれにしても、重要なのは何事もバランスであり、常に内部と外部の状況を見極めながら、
リスクを適切に捉え、いつどこにどれだけのリソースを投入するかを決めていくのが大切だ。

ちなみに「選択肢」といっても、実際にはどれかひとつだけを選んで他は捨てなければならないという場面は意外に少ない
同時に複数を選ぶこともできるかもしれないし、隠れている選択肢もあるかもしれない。

本当に今この選択肢の中からどれか一つだけを選ぶしかないのだろうかと、一旦立ち止まって考えてみるといいだろう。

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