今回は最近SNSやネットのページを見ていて感じることを書いていこうと思います。
何を感じてるかというと、それは多くの人が国語力不足なのではないかということです。
国語力不足を感じる瞬間
まず国語力不足をどんな時に感じるかですが、結構いろいろな所で感じます。
特に感じるのは次のようなときです。
ネット上の議論を見たとき
どんな時に国語力が不足してるんじゃないかと感じるかというと、
Twitterやnoteなどのコメント欄を見たときです。
ちゃんと発信している人の意図をくんで、そのうえで話できてるような人は
ほとんどいないんじゃないかというくらい的外れな意見をコメントしてる人ばかりです。
「そういう事言いたいんじゃないのに…」というような悲しそうなツイートは
もはや日常茶飯事です。
議論と呼べるようなものではないですし、
会話はキャッチボールではなくドッジボール。
今までも実態は似たようなもので、
ネットの普及によって顕在化しただけならいいんですけど、
低下していってるような気がしてならないんですよね。
勉強を教えているとき
国語力不足は勉強を教えているときにも感じます。
でもそれは国語を教えているときじゃないんですよ。
国語の文章が出来ないのは全然理解できます。
なんせ評論文の難しい文章を読み取ったり、難しい言葉を知らないとわからなかったり。
小説の登場人物の心情把握なんかの文学的表現なんかもやっぱり難しいです。
でも今回言いたいのはそういう科目として「国語」ができないという話ではないんです。
国語力不足を感じるのは数学や理科といった国語以外のことを教えているときです。
なんと数学ができないとか物理が出来ないという人の中で
「問題文や解説の日本語が理解できない」という人が意外と多いのです。
そもそも問題文が理解できないというのは数学ができないとか以前の問題です。
そりゃ授業についていけないわけですよ。
ネットの記事の添削をしていた時
SEO対策の指導の一環でネットの記事の添削をしていることがあるのですが、記事の添削で出してくる文章がまぁひどい。
言葉遣いとかは自分もこのサイトだとぐちゃぐちゃだし、それも個性だと思ってるのでいいんですけど、文法的に気持ち悪い文章がとても多かったです。
しかもそれを書いていてなんの違和感も持たない人が意外と多くいて、「この文章おかしいよね」と言っても「えっ、おかしいですか?」と返してくる人ばかり。
主語の後の「が」が2回続けて出てくる文章を平気で出してきます。
後から読んでみて違和感がないらしいので本当に不思議です。
セミナーを聴いた後
セミナーによく足を運んでいた時期があったのですが、
セミナー後に一緒に聴いていた人と話をしていたら
相手が全然内容を理解できていなかったという事が多々ありました。
ここまで内容が伝わっていなかったらセミナーの講師もかわいそうだなと思うくらい
全然伝わっていませんでした。
でもなぜかみんな「今回のセミナーはすごかった」だの
「ためになった」だの話しているのです。
満足してるからいいんでしょうか…。
それでいいのか…。うーーん。
それでいいなら俺もセミナーしようかな…。
それっぽく話すよ?笑
国語力不足の原因
もし国語力が不足してるとしたら何が原因なんでしょうか。
やっぱり本とか活字を目にする機会が減ってるせいでしょうか。
考える機会が減ってるからというのもあり得ますよね。
もちろん個人差あるけど、
昔の人に比べてSNSやらテレビのような映像で過ごすことが多くなったわけですし
考える機会や活字に触れる機会は確実に減ってそうです。
あと教育プログラムにも問題あると思うんですよ。
国語力もっと学校で教えたほうがいいと思うんですよね。
国語力ないと自学自習もできないわけだし、最優先事項でしょう。
国語力をあげるにはどうすればいい?
国語力を上げるなら何をしたらいいのでしょうか。
僕は文章を要約するのと、日本語の聞き取りをしたらいいと思います。
要約は筆者の主張、本当に言いたいことを掴まないとできません。
今ここで話している国語力は相手の伝えたいことが読み取れないという事なので
要約がいい訓練になるというわけです。
日本語の聞き取りは聞き取った内容を理解していないと
書き取りするには時間が足りません。
短時間で内容を把握するという訓練になるのです。
学校でこのような要約、聞き取りを導入するだけで国語力不足も改善するし、
もちろん「現代文」の成績も上がるのになと思っています。
まとめ
最低限の国語力は人間関係を円滑にするためにも必要になるものです。
話の通じない人には話す気がなくなりますし、それだけで機会損失は計り知れないものになるでしょう。
子ども向けとしては国語力を養う事は最優先課題の一つとして
もう少し真剣に考えられるべき問題なのではないかと思います。