以前友達と話していて「ふつう」という言葉が嫌いだという話を聞いて考えさせられました。
今回はふつうという言葉を掘り下げてみようと思います。
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ふつうを気にする日本人
「ふつう○○するでしょう」
「ふつうそれはしなくない」
「ふつう嫌じゃない?」
などふつうって言葉はよく使われますよね。
僕も使うときあります。
でも友達は「ふつうってなんやねん」と感じるらしく、
ふつうという言葉が嫌いだと言っていました。
たしかに、ふつうってなんなんですかね。
ふつうという言葉を使う時、その裏には
「みんなそうする」という意識があると思います。
要は多数派であるということを暗に言っているわけですね。
日本人は周りと一緒、みんなと一緒ということを特に好むので
「ふつう」に属しているという事はすごく安心できるんですよね。
逆に、「ふつうじゃない」と言われてしまうと周りと違うと言われてるため傷つきます。
無意識に「ふつう」と言ってしまうときは
周りがそうだという根拠があるわけではないので
「みんなそうすると思う」くらいのニュアンスがふつうという言葉なんでしょう。
ふつうじゃなくていいんじゃない?
ふつうというのは周りの環境によって変わるものです。
周りがベジタリアンしかいない世界にたとしたら
お肉大好きな僕は当然「ふつうじゃない人」です。
逆立ちしながら食事をとる人しかいない国に住んでたら
座って食べる僕は「ふつうじゃない人」です。
ふつうじゃないけど、恥ずかしく感じるかもしれないけれど、
別に何も悪いことをしてるわけではないのです。
ふつうであることはいいことでも悪いことでもないのです。
ふつうじゃないと悩んでる人も
別のコミュニティに行けば同じ感性を持つ人に会えるはずです。
別に悩むことではないのです。
別にふつうじゃなくていいんじゃない?
そのほうがおもしろいんじゃない?
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