日本人は、ある場面では、非常に親切で温かく振る舞う一方で、
別のある場面では、非常に不親切で冷たく振る舞うこともある、そんな不思議な国民です。

この不思議な二面性の裏側にある文化を探ってみると、私達がもうちょっとだけ優しくなるためのコツが見えてきました。

優しくなれない日本人

街で困っている人を見かけたとき。
助けようかと思ったけれど、何もできず見て見ぬ振りをしてしまった。
そんな経験はありませんか?

日本人は、基本的にはとても親切な国民だと思います。

落とした財布は無傷で返ってきますし、カフェで荷物を置いたまま席を立っても盗まないくらいには治安が良いです。
お店でのサービスは丁寧ですし、礼儀正しく、細かいところまで配慮が行き届いてることが多いです。

しかしその一方で、驚くほど冷たく不親切な場面に遭遇することも珍しくありません。
電車に乗った妊婦さんを見て、席を譲らずに寝たふりをする。
道に迷っている人を見ても、何もせず通り過ぎる。

最近、欧米圏に旅行する機会が何度かあったのですが、
その中で、「日本の方が優しい」と感じる場面と「日本よりも優しい」と思う場面は、どちらも同じくらいありました。

特に不親切だと思うのが、街中で見知らぬ人に対する振る舞いです。
後ろの人のためにドアを開けたまま押さえて待っていたり、店を出たところで路上生活者の方にお釣りを渡したり、店員さんにちゃんと「Thank you」と言ったり。
そういう行為をアメリカやヨーロッパで何度も見かけましたが、日本ではほとんど見たことがありません。

どうやら、ただ「優しくしよう」と心掛けるだけでは不十分なようです。

日本人が不親切なのは冷たいからじゃない

なぜ日本人は、ある特定の場面では不親切になってしまうのか?
面倒事に関わりたくないからだとか、人見知りだからだとか、
それで結論付けてしまうのでは、少々浅すぎる気がします。

「恩」の重荷

日本文化論の名著『菊と刀』を読んでみると、そのヒントを見つけることができました。

日本では、(中略)迷惑がられずに恩を受け入れてもらえるのは運のいい場合である。

事故があったとき、日本の街頭には人だかりができる。だが、群衆は手をこまねいて何もしようとはしない。それは別段、率先して行動する力を欠いているからではない。一般人が無用の手出しをすると、助けられた側は恩を負うことになる。それが分かっているから手を出さないのである。

そう、この「恩」という外国語に翻訳し難い独特な概念が、
時に日本人の親切心に――おそらくは無意識下において――ブレーキをかけているのではないでしょうか。

「恩は、万分の一も返せない」。恩は重荷である

「恩」というのは、とてつもなく重く大きな「借り」です。
恩を受けた以上は、どんなことをしてでも返さなければなりません。
時を経ても、借りが減るということはありません。
にも関わらず、「恩」は返しても返しても完済できないという、非常に厄介な代物なのです。

「恩知らず」という恥

金銭の貸し借りのように、同じだけ(あるいは少しの利子をつけて)返せばそれで終わるようであれば簡単なことなのに、
「恩」というのは完全に返すことができない、なのに返さないと「恩知らず」「礼儀知らず」とされてしまう。

「すみません」。その意味はこうである。「あなたから恩を受けましたが、現代の経済の仕組みの中では、恩返しをすることができません。このような立場にいることを心苦しく思います」。

日本語で感謝を伝えるときに言う「ありがとう」は、「有り難う」であって「Thank you(あなたに感謝します)」ではありません。

お礼として言う「すみません」も「申し訳ありません」も「かたじけない」も、自分が何か悪いことをしたから謝っているのではなく、不本意ながら恩を返すことができないということを詫びているのです。

先生や親のように、相手が自分より明らかに目上の立場の親しい人であれば、恩を受けることにそれほど抵抗はありません

その相手からすれば、自分は施しを受けるべき立場にいるわけで、
しかも、多少時間がかかってでも、万分の一も返せないとしても、素直に受け取ってもらえないとしても、恩返しをしようとすることはできますから、少なくとも「恩知らず」という不名誉からは逃れうるわけです。

しかし、互いに見ず知らずの他人から受けた恩であればどうでしょうか?
それがたとえハンカチを拾ってもらった程度のことだったとしても、その恩は一生返すことが叶わないのです。
実際にはそこまで重く考えることはないと思いますが、実際に抱く必要のあるものよりも重い何かを抱えてしまうのは間違いないように思えます。

だから、日本人はある特定の状況では自ら率先して手を差し伸べることに抵抗感を抱くのであって、
同様に、それを軽率に受け取ることついても積極的にはなれないのです。

そういうことに気が回っていない親切な行為は、「優しい」を通り越して「恩着せがましい」というレッテルを貼られてしまう可能性すらあります。
急速にグローバル化・近代化が進んだ今の社会においても、
少なくともこれを読んでいる皆さん(のほとんど)が「確かにそうかもしれない」と感じるくらいには、「恩」の文化は、我々日本人の心に深く根付いているはずです。

日本人が他人に優しくするためのコツ

では、そんな「恩」の文化に生きる僕達は、どうすれば優しくできるのでしょうか。

僕は、「恩」という日本文化を否定・批判したくはありません
悪い文化だ!外国に劣っている!捨てるべきだ!などと叫ぶことには、違和感を感じます。

というより、そう言ってみたところで簡単に変わらないからこそ「文化」なのです。

であれば、それを肯定した上でひと工夫する必要があるように思います。
要するに、「恩着せがましく」ならないようにしてあげればいいのです。

大きく2つのアプローチが考えられます。
「返せすことのできない恩を受けてしまった」と感じさせなければいいので、「返す必要が無い」と伝えるか、「返すことができる」と伝えるかです。

「これは自分のためにしていることなので、むしろ素直に受け取ってもらえた方がありがたいです。だから返す必要もありません」ということにするのが前者

例えば、階段で重い荷物を運ぶのを手伝ってお礼を言われたときに、
「夏に向けて体鍛えてるんで、むしろありがとうございます!」なんてことを言えば(これはその人のキャラによると思いますが笑)、
その施しは自分のためにもなっているのでそれで完結していて、むやみに「恩」を感じる必要もないということにできます。

対して、「これは万分の一も返せない恩ではなく、返済可能な単なる貸し借りです。重く捉えず受け取ってもらって大丈夫です」ということにするのが後者

これは、全く面識のない他人同士では使いにくそうですが、
例えば、「すみません、私のためにこんなことしてもらって。」に対して、
「いえいえ。代わりに今度ランチでもご馳走してくださいね。」と冗談交じりで答えることで、
その「恩」は返済可能な「貸し借り」であるかのような印象に変わり、受け手の申し訳なさを軽減させることができる気がします。

例で挙げたセリフがまあまあダサい気もしますが、
普段周りから優しいと思われている人は、やはりこういうことをあくまでごく自然な感じで言っている気がします。

受け手が感じる「恩」の重みを軽減させようとするひと言の気遣いは、
あると嬉しい日本的な優しい配慮であり、「優しいけど恩着せがましくはない人」になるためのコツなのかもしれません。

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